本質を見る 6

美徳経済については、環境重視経営へのマーケティング論に譲るとしまして、こちらのテーマでは本質をついた話題にふれていきます。

さて、先日ある方(事業所の中で責任のある立場の方)と面談いたしました。

その方のお悩みは、ある方の意識を変えたいとのことでした。

意識を変えたいとは、どうしても理解が出来ない言動や行動がある方がいて、そういった事をやめてもらいたいとの事でしたが、お互いの関係を崩さず、相手の意識を変えてもらう為にはどのように伝えればいいのかわからないといったものでした。

こういった事はよくある事だと思います。

面談がカウンセリング的になってしまいましたが、私が考えるアドバイスをさせていただき、その方のお考えをお聞きしました。

まずお互いに理解をしていなければならない事は、「相手は変えられない」という事です。

これはそのままの意味です。相手を変えようとしても、その相手には意思がありますし、判断をする背景にはそれぞれの価値観があります。

日本人は価値観がとかく同じに感じてしまいがちです。

しかし、自分と同じ考えの人は他にはいないぐらいの感覚でいれば、おのずと自分の周囲への対応も変わってきます。

その結果、「相手が変わる」かもしれません。

そういった行為を「主体変容」と言います。

そもそも相手は変わると思い込んでいるのと、相手は変わらない、変わるべきは自分と思っているのとでは、明らかに自分の成長も違ってきます。

相手の心理地図に入ろうとする行為も主体変容からスタートするのがよろしいのではないでしょうか?

さて、この面談でのお話をさせていただくと、その方は少しがっかりした表情をされ、ますます重苦しい雰囲気になってしまいました。

ここで、その方の本当の課題が明白となったのです。

いわゆる本質をついた瞬間です

「自分としては不本意ながらリーダーとなっている」

これがこの方の課題であり、さらに人間関係的には厄介な部署に来たと思っていると言う事でした。

お話を聞いていると、オンサイト・オフサイト問わず話し合い等を積極的に行っているとの事で、行動はすばらしいと思います。

しかし、リーダとして具体的にどのように関わるべきかという事がうまく示せていないという事でした

多くのリーダーはこういったお悩みを口にするものです。

なぜこの課題に直面してしまうのかを考えると、様々な判断基準が「リーダー」となっている事があげられます。

つまり、リーダーなんだから決めて欲しい、リーダーとはこうあるべき、リーダーは何でも知っているはずだ、といったメンバー側の価値観でリーダーを演じなければならないと言う事です。

リーダーとしての資質や能力が他を圧倒しているなら、それはそれで影響力を持つと思います。

しかし、リーダーはリーダーになった瞬間にリーダーとなりますが、果たして資質や能力が必ずしも最高の方が選出されているのでしょうか?

世界の名だたるリーダー並の能力を持っている方を社内から見つける事は難しいのではないでしょうか?

しかし、メンバーはいつだって自分のリーダーとそういった有名人を比べたりするもんです。

そして、劣っている点を上げ連ね、リーダーに対しての不信感を持つのです。

これは健全な状態と言えるのでしょうか?

私の考えでは、リーダー個人の判断基準は、理念やビジョンにあるべきと考えます。

リーダーの個人の判断基準に委ねていると、その人の能力に左右されてしまいます。

優れたリーダーがいない組織ですと、機能不全となります。

こういった組織は成長が鈍化してしまいます。

果たしてこれでいいのでしょうか?

つづく